「いざ行かん、我らが家は五大州」
沖縄移民の父と言われた當山久三の言葉である。ハワイへの移民から始まったその歴史は、北米、南米と世界に広がり、夢を求めて多くの沖縄県民が旅立って行った。現在では「世界のウチナーンチュ」と呼ばれ、世界各国で沖縄と世界の架け橋として活躍している。
1998年、アルゼンチン沖縄移民90周年記念事業を成功させようと、アルゼンチン県人会は沖縄県や市町村に協力を働きかけていた。彼らは当時琉球國祭り太鼓の会長であった照屋辰弘氏を訪れ「五月通りの大パレードにぜひ参加してもらいたい。琉球國祭り太鼓の演舞で沖縄の心を打ち響かせて下さい」と心からの礼を尽くしてお願いした。彼らの熱い想いを受け、照屋前会長がその場に同席していた私と与那嶺昭に対し「1世の方々のご苦労があったからこそ今がある。ご高齢になった1世の方々を祭り太鼓の演技で喜ばせてあげなさい」と言うと、ビール片手に乾杯すれば世界が友達だと信じきっている与那嶺昭は「はい、わかりました。自分が行きます。」と即答した。
どんな大きな夢も一歩踏み出すところから始まって行くのである。
2019年02月01日
第26話「五月通り」(南米エイサー行脚A)
posted by ryukyukoku at 14:51| 第1話〜