2012年03月02日

第4話「天下の一会」〜マイケルジャクソン〜

 琉球國祭り太鼓を結成したころ、新しいスタイルを取り入れて注目された事が二つありました。一つは、エイサー大太鼓を使って男だけで演じること。もうひとつは演舞曲にエイサー曲だけではなく、ロックやポップス、そして琉球古典音楽の「瀧落し」などを取り入れたことでした。
 その当時の琉球國祭り太鼓は、多いときでは一日4ヵ所のイベントに出演することもありました。そんな中で特に観客から好評だった演舞が、マイケルジャクソンのヒット曲「ビリージーン」でした。祭り太鼓初の海外遠征はハワイで開催された「まつりインハワイ」だったのですが、カラカウア大通りでのパレードで「ビリージーン」の演舞が始まると、なんと祭り太鼓を先導していた白バイ隊員がバイクから腰を浮かし、リズムを取り、まるで私たちと共演するように白バイをジグザクに走らせたのです。そして沿道の観客も手をたたいて喜び、その場は大いに盛り上がり、パレードは大成功で終了。パレード終了後、興奮も冷めやらぬメンバー達はホノルルのディスコへ出かけていきました。そこで流れる「ビリージーン」。メンバーたちが思わず“エイサーのビリージーン”を踊ると、その場にいた他の客からまたもや拍手喝采を受けたのです。


 その頃、沖縄である大手清涼飲料水の会社が主催するイベントに出演したとき「ビリージーン」の演舞を披露すると、その場にいらしたその会社の副社長が私のところに来て「この演舞は素晴らしい」と賞賛してくださいました。私は「ありがとうございます」とお礼を言い「ビリージーンの演舞は観客のみなさんにとても受けていますが、この曲をエイサーの演舞に使っていることをマイケルジャクソンさんに伝えて許可を得たいのです。しかし、私は方言は上手でも英語が全くだめなので、どうすればいいですか?」と尋ねると副社長は「手紙を書いてもらえれば、こちらで翻訳してマイケルさんに届けましょう」と言うのです。私はびっくりしながらもマイケルジャクソンに手紙を書き、それをその会社の方に託しました。果たしてその手紙が本当にマイケルジャクソンに届いたかどうか、今となっては確認する術はないのですが・・・。

正直、今思い返しても何を書いたのかあまり覚えていません。きっと今だったら
「地球を舞台に夢を見ている琉球國祭り太鼓です」
と書き添えたでしょうが。
posted by ryukyukoku at 17:15| 第1話〜