2012年03月12日

第5話「青春の旗」

 琉球國祭り太鼓の合言葉は「チュバチ(一度)に五十名の友達ができる」でしたが、今考えてみると、不思議なことにその言葉でメンバーはまとまっていた気がします。友達ができるということは、人生の中で一番の宝であるからかもしれません。

 琉球國祭り太鼓は1982年11月3日、沖縄市が主催する「沖縄まつり」でデビューしたのですが、そのデビューの日を目前に、一人の青年が練習に顔を出さなくなりました。私が後輩たちに「最近、彼の姿が見えないがどうしているのか。一度家をたずねてごらん」と言うと、後輩の一人が「練習に来ないのはやる気がないからでしょう。メンバーは目標の50名以上になっているんだから、一人くらいいなくてもいいじゃないですか」と言うのです。私はその言葉に対し、語気を強めて「人は必要でない時こそ大事にしなければならない。君たちが行かないなら私が彼のところに行って練習に来るように話してみよう。皆が一つになって一緒にデビューしようじゃないか。それが友達の心意気だと思う」言い、すぐに彼の家へ向かいました。家に着くと、そこには残業続きで疲れきった彼の姿がありました。私は彼に「デビューする日は目の前に近づいている。仕事で疲れて大変だろうけれど、一緒に頑張ろう。エイサーは太鼓が一つ増えると迫力が2倍に、友達の輪は一つ増えると感動が2倍になる。皆が待っているよ」と言うと、彼は「今からいきます」とすぐ練習に参加したのでした。

 琉球國祭り太鼓デビューの日、演舞は沖縄まつりのパレードから始まりました。エイサー大太鼓50個余りの音はびっくりするほど迫力があり、それに加え、大型スピーカーを2t車にのせた音響車の音も観客の度肝を抜きました。パレードする青年達の顔の輝きは忘れられません。そしてパレード後のまつり会場での演舞。最初は泡瀬のエイサー曲で始まり、2曲目は知花青年会の谷茶前、そして登川青年会のあやぐを演舞しました。
 演舞が終わった後も、ある一人の青年の手からバチが離れません。その姿は彼の一打を物語るようでした。私はその様子を見て胸が熱くなるほどの感動を覚え、もしもその時演舞した50名全員がその青年と同じだったら、世界一の感動がそこにあっただろう、と思ったのです。その感動の出来事を見守るように、私たちが掲げる「青春の旗」はきらめいていました。
posted by ryukyukoku at 21:49| 第1話〜